最初に習っていた合気道の先生が1987年に日本へ戻ってしまい、私は合気道の稽古を止め、数年間先生を捜しました。
多くの偉大な先生に会いましたが、深い感銘を受ける先生は誰も居ませんでした。

そんな中、1992年に遠藤師範がご指導されたフィンランドのケラヴァでの稽古がとても強く印象に残りました。
それは、相手は何が起こったかも分からない程、相手の力を優しく導く方法でした。
それを見たとき、私の合気道人生がやっと始まろうとしているように感じました…

皆さん一人ひとりに合気道の先生との出会いの物語があったと思います。
その時、先生を選びましたか?
その時、生徒を選びましたか?

私は、そうは思いません。
先生は生徒を導き、生徒がそう望むなら、先生の導きに付いて行きます。
ただ、先生も学びの途中であると云う事を考えると、本質的な先生と生徒の違いは何でしょうか?
先生と呼ばれる人々は、より多くの経験から生徒を導き、助けてくれる。
学ぶと云う事は、その様なお互いの認識と選択が常にあるのではないでしょうか。

今年の8月に佐久に行った時、遠藤師範は、私が教えている稽古を見た事がなく興味がある、とおっしゃって下さいました。
これは、大きな名誉であると共に、遠藤師範が絶えず動いていて、変わっていて、新しいものに適応している1つの例だと思いました。
流れる水は常にその道を見つけようとしている、と稽古中におっしゃっている通り、遠藤師範自身も稽古中だけでなく、生徒を導いてくれていると感じました。

私の稽古では、生徒自身が自ら成長出来るように挑戦しました。
その際、流れは重要な要素だと考え、自由技を常に含ませてみました。

私は、動きの流れを強調しました。
それは、相手とぶつかる様な流れではなく、むしろ、触れている場所やコミュニケーションから感じる相手に何も強制せずに導ける様な流れを探す事です。

遠藤師範、そのサポートと導き、本当にありがとうございます。
稽古をして下さった方々、本当にありがとうございます。
感謝と共に、次回お会い出来る事を楽しみにしています!

ミランダ
あかり道場
ヴァンター フィンランド


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